RBAタイムズ 不動産情報かわら版 191号 掲載 「中央線の奇跡」 ~ "元気印" 人と企業 発行/第三企画株式会社
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中野区を中心に周辺6区をカバー |
同社長の最大の武器は、膨大なデータに基づいた営業活動だ。同社は昭和53年の創業以来、コツコツと新築マンションや中古マンションのデータを収集してきた。その数は中野区を中心に杉並、練馬、新宿、渋谷、文京の6区全体で約23万戸にものぼる。 「最近データを集めだした文京区などでは、私の知らないマンションがポツン、ポツンと出るが新築マンションのデータはほとんど揃っている。ファイルに収めているだけだが、これをパソコンなどに入力すれば、さらに利用範囲は広がる。これが当社の大きな財産。データに基づいた営業だから、お客様に対して説得力がある」 「支店展開を勧めてくれる人もいるが、私の性分からして、売上を伸ばすよりも利益優先。5年かかるか、10年かかるかも知れないが、次の世代に無借金で引き渡した。銀行の姿勢によって方向が決められるような会社にはしたくない。圧倒的な地域ナンバー1を目指したい。そのためにも社員の資質を上げるとか、インターネットの充実、店頭広告も充実させていきたい。」 「当面のライバルはオークラヤ住宅さん。中古マンションの仲介に限れば、中野区では当社とオークラヤさんが5分5分の勝負。何とか圧倒的な優位に立ちたい」 同社には国籍はもちろん、年齢、男女差別もない。能力主義に徹しているのも社員の士気を高めている要因だ。 同社には現在、バングラディッシュ出身の社員・パートが4人いる。カーン・フィローズ・ハヤトさん(39)もその一人だ。来日12年で、永住権も取得した。もちろん流暢な日本語を話す。そのカーンさんに「わが国の分譲マンション第一号・四谷コーポラスのデータはあるか」と訪ねたら、「もちろん」と、階高や建物の形状などもすらすらと説明されたのには驚かされた。 |
ここ10年休まず早朝掃除 "日新不乱"にモップがけ |
同社には、とても他社が真似のできない地域活動がある。早朝掃除だ。 平山社長はここ10年間、毎朝7時半から8時過ぎまで、会社とその周囲をモップがけするのを日課としている。Tシャツとパンツ草履姿でだ。新入社員にも33日間の研修期間は、これを課題とする。 「体で覚えさせるのが一番。中には朝の4時起き、5時おきという社員もいるが、これに耐えられないようでは仕事は勤まらない」 「今ごろは、掃除を終えると汗びっしょりになるが、掃除を終え、水道水で頭から水をかぶると、とても爽快な気分になれる」 「10年間もモップがけをしていると、変なところにタコができる。私は3年前にゴルフを始めたが、このタコが邪魔してか、クラブがうまく握れない。スコアが伸びないのは、手のタコのせいかもしれない。」(とはいうが、50歳代半ばでゴルフを始め100前後で回れるのはたいしたもの) その”モップがけ”を見学した。”シー、シー、シー”。社長の口から息を吐く音が聞こえてくる。一心不乱という言葉があるが、それはまさに“日新不乱”だ。ほとんど止まらない。下を向き、モップを力いっぱい振りつづける。顔から汗が滴り落ちる。掃除というよりは、運動だ。「声をかけてくる人がいるが、かえって迷惑。呼吸が乱れると疲れるんです。」 隣近所の人たちも、「神社のところまで(会社から20メートル)やってくれるので、落ち葉のあるときなどは大助かり」と感心しきりだ。 ![]() |
母へ毎月仕送り20年 手書きの手紙も添え |
平山社長は親孝行の人でもある。それも半端でない。社長は会社を興してから、お母さんがなくなる平成10年まで毎月、仕送りを続けてきた。身内への気遣いから、そのことは内緒にしていた。近況を知らせる手書きの手紙も必ず同封した。あるとき、覚えたてのワープロで手紙を書いたところ、「気もっが、込もっちょらん」としかられたという。 お互い、贈りものの交換も続けてきた。不思議なことに、平山社長が最後に送った薬箱が届いた日はお母さんの亡くなった日で、お母さんからの自家製のもちが届いた日と同じだった。3月10日だ。以来、平山社長は、お母さんの命日には必ず鹿児島に帰省し、墓参りを行っている。酔っ払って「気が付いたら、朝まで墓場で寝ていたこともある」。 平山社長が頑張れるのは、「うそをつくな。何事も最後までやり遂げよ」というお母さんの戒めが支えになっているからだ。 |
九死に一生の大怪我 喪服持参で身内上京 |
「人は当社を『中央線の奇跡の会社』と呼んでくれるんですが、私はよう分からんのです。内心は嬉しいのですが・・・」。 そう呼ぶ人たちは、平山社長の「九死に一生」の経験もダブらせているに違いない。 社長は、ほとんど墓場から生還したことがある。大学4年の夏、酒を飲んで喧嘩をし、腹を刺された。傷は内臓まで達していた。病院には田舎の親族が喪服を持って駆けつけた。お母さんと離婚した”お父さん”まで駆けつけたという。 それほどの深手を負いながら死ななかった。当時の検察官は「ここまで傷を負って死ななかった人間を知らない」といったそうだ。 裸になると、平山社長のみぞおちにはその傷跡がくっきり残っている。 |
「大きいやつ、強いやつ、裕福なやつには負けたくない」 |
平山社長は昭和23年1月、鹿児島県薩摩郡の農家の4人兄弟の3男として生まれた。両親は社長が小学生の頃別れた。「母子家庭で家が貧しかったが、地元の国立の大学は受からず、東京大学を目指したが、早稲田大学に入学するのに3年掛かった。高校のときにも病気で1年休学しているので、社会人になるのに4年も遅れた」。最初に勤めたのは住宅サービス協会(現住宅サービス)で、その後すぐ八千代建設に転職。この会社で不動産仲介のノウハウを学んだ。 社長が「大きいやつ、強いやつ、裕福なやつには負けたくない」というのは、こうした生い立ちが背景にある。 身長は163センチ、体重63キロ。ちんちくりん姿だが、社長は意に介さない。 「坊主頭をなんとかしろ、と兄にも言われるが、髪を伸ばしたのでは、頭から水をかぶるのに具合が悪い。私の坊主頭は、掃除をするためかもしれない」と笑い飛ばす。住まいや着るもの、食べ物には執着しない。酒は飲めばどこまでも飲むが、「飲むと翌日に響くので、晩酌はやらない」。 今は3年前に覚えた週1のゴルフに夢中だ。 (平成15年9月 「RBAタイムズ 不動産情報のかわら版 191号」)
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